最後の三日は、また、日本に行く前と同じに、感情が非常に起伏している。それで、それをどこかで書きたいと思う。そのどこかでは、このブログである。
この起伏はもちろん、いろんなことを考えることによるものである。
ポルトガルに来てからの再会と、その場面でのお話、友達の様々な事情、将来のこと、自分のことなどである。
日本に来る前に、私は自分のことを、正直に言えば、尊敬していなかったのではないだろうか。その理由で、私のことをだれも好きにならないと思い込んで、最初、いく気なしに、遠慮して、あまり楽しいことをしなかった。
でも、違う。
いくら私は私のことがきらいでも、好きな人はいた。なんでと自問自答してみたが、やはり、答えはなかった。ずっとわからないまま、様々ことを感じたりして、それがわかるまで、勉強しようと決めた。全部わかるわけではないのだが、ある程度わかってきたと思う。
だが、なぜ自分のことがいやになったのだろうか。子どものときから、子どものことをしようとしたら、向こう側に無視されて(たとえば、プレゼントをあげて、それで、何日かのあと、私があげたプレゼントをだめなままであること)、自分を"あげる"ことは、どの向こうでもから、絶対に拒絶、あるいは、無視されるというふうに恐れ、遠慮して生きてきた。
このいやな癖はまだ、たまにあると思うのだが(癖、無意識的にすることだからね)、だいぶよくなったと断言している。この理由で、心を開けないことは、ここから来たと思う。
私はこのあいだ、そういわれた。あなたは心をあけたほうがいいと言われた。だいぶ良くなったことはさておき、まだ改善することはいっぱいあるとわかっている。
よくなったのは、意外と様々な人が私のことが好きだから。それを、「意外だ」と思い、びっくりしても、私もこの人が好きだから、遠慮なく、ポルトガルでずっと遊んだ。意外と結構、毎日は忙しかった。
友達に尊敬されるのはまだちょっとおかしいと思っている (ほら、まだ、あのくせ)。尊敬されることや、意見などを無視されないことはまだ、私には、びっくり。初めて気がついたのは日本だった。買い物をするときは、友達に意見や賛否を聞かれた。最初は、ブロックし、言いようがなく、迷い、いくらよくても、いやだでも、中立な、反対でない意見を言い出した。
言いたいのは、昔、何か言いたいことがあったら、相手が怒ることを恐れて、言うことを避けることにした。でも今は自信を取り戻した。
やっぱり、これを、改めて読むと、改めて考えると、なんか、涙が出てきたけど、日本に行く前はこれを意識していなかったから、なんかこれ・・・この認識はいいよね。よくわからへんけど。
この人の改善まだ遠くても、一日生きて、日本語やほかのこと、人生を学んで、楽しんで、いくら将来わからなくとも、何にしてもそれは絶対にくるから、今はすべきことをしたいと思うなあ。
それに、写真の意味がわかった。いい思い出をもっとうまく思い出すためである。これは、金曜日、難しい離れの後の、地元(高校)の友達との写真。
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